母親について
うちの母親は、かわいそうだなと思った。
一緒に住んでいたいかと言われたら絶対に嫌だし、好きだったかと言われると複雑なので一言では答えられないけれど。
子供が出来てしまったからと結婚した相手が、付き合っている間は博識で優しくて経済力もあったのに結婚した途端に暴力も浮気も借金もして、田舎の跡継ぎ長男だからと同居してみれば姑からは同じ食卓につかせない等の徹底した嫁いびりをされ、子供が生まれても逃げ出せずにいたのだから。
それでも同情できないのは、一度息子(私にとっての兄)を連れて逃げ出そうとしたのに周りに「1ヶ月分の給料は貯めてからのほうがいい」と言われたからと、やめてしまったからだ。
その時、母親は家の仕事の手伝いと家事育児をしていた。仕事の手伝いと言ってもちゃんと資格の必要な仕事だからと講習も受けていた。だからたぶん、周りの人は流石にきちんと給料が出ていると思っていたのだろう。実際は給料は渡されず、経理的な面は祖母が見ていて金を貯めるなんてこと、出来なかったのに。
私が母のことを嫌いなのは、そういった自分で決めたことを事情もよく知らない人に言われた言葉で変えてしまうところなのだろうか。
自分で考えずに、貰えてもいない給料をどうやって1ヶ月分も貯めるのかなんて、他人に聞いたところで実際に有効な方法が分かる可能性もひくいだろうに。
母は、他力本願な人間だった。
私が産まれて2歳の頃、夜泣いていてうるさいからと怒った父に口にタオルを詰め込まれ、左の口の端が裂けてそのまま放置されたことがあった。祖母も母親も助けに来た記憶もなく、病院に連れられた記憶もなく、今も確かに私の口の端は左の方が数ミリ程度長く、端は白い。
そんなことがあったのに、私が4歳の頃には弟が産まれている。
昔一度だけ、何故生まれてきても暴力を振るわれることが分かっていたのに弟まで産んだのかと母に聞いたことがあった。
母は「子供が産まれたら変わると思っていた」と言った。
もう既に2人も産んでいるのに。それでも変わることなく借金は増え、浮気もやめず、暴力も振るう人間なのに。祖母だってそうだ。跡取りの長男も、自分が産みたくても産まれなかった女の子を産んで、もう望まれることは応えきっているのに。それでも祖母は母に嫌味や悪口を言い続けていたし、扱いも変わっていなかった。
なのに、何故?
何がどう変わると思ったのか。
そして何故大人である自分が、周りが、変えられなかった環境を産まれてくる何も出来ない何の力も持っていない赤子に変えられると期待するのか。
動くべきは自分なんじゃないのか?
実家の人間たちは、皆自分で問題を解決しようという感覚がなかった。他責思考だった。
事故で腕があまり上がらなくなり、手術の際に医療ミスもあり坐骨神経痛を患ったからと言って傷病手当の手続きも後遺症の申請も全てを母に丸投げして、進んでいないと怒鳴り散らし、リハビリやそれでも就ける仕事を探すでもなくそのまま無職になった兄も、
教えられたことがないから出来ない、自分はしてもらったことがないからやらないと言って自力で調べて出来るようになろうとしない弟も、
全員、他人任せで、他責思考で、それが気持ち悪くて仕方なかったのかもしれない。
自分でやればいいのに。
ずっとそう思いながら過ごしていた。
あの人たちは、どうやってこの先生きていくのだろう。
きっと全員、このままではエンジンの働かなくなった飛行機みたいにこの家は墜落していくだけだ、なんて気がついていない。
50代半ばの非正規雇用と無職と障害者枠雇用で、きっと今月も家賃も電気代もガス代もろくに払えない生活を送っている。それどころか、水道代さえ払えているのか怪しいのだ。
気がつかないことは幸せなのだろうか、
気がついてしまって、見えてしまっていたから私はあの家では不幸で憂鬱で毎日が苦しかったのだろうか。
あの家は、どうなるのだろうか。
私には、もう関係ないけれど。